ジブアシの小説

ジブアシの小説 雨水・1

「じゃあ、石垣島に着いたら連絡する。見送ってくれてありがとう」

そう、空港で手を振ったときに私に見せた達彦の切なそうな表情が、柔らかな光の雨のように心に淡い面影を残した。達彦は言いたいこともたくさんあっただろうし、不満も不安もきっとたくさんあっただろう。でも、少し気弱ないつもの笑顔で、「うん」と手を振り返してくれた。その笑顔に私も笑顔を返し、一人で飛行機の搭乗口へと歩いていった。何度か振り返ると達彦はいつまでもその繊細な笑顔で手を振り続けていてくれて、人波に押されながら私はまた少し笑って、小さく何度でも手を振った。

もうこれで、私たちは終わりなのかもしれない。

その思いは言いようもなく、その瞬間の私たちのいちばん深いところをさまよっていた。感情に出口や答えはなく、ただ言葉にできない不安だけが、そのときの私たちのすべてだった。

私が子宮の全摘手術を受けたのは、一年以上前のことだった。

最初は少しおなかが痛いな、という程度だったのが、あっという間に耐えられない痛みになり、生まれて初めて意識を失いかけて救急車で運ばれ、そしてもっとあっという間に、目覚めたら子宮がなくなっていた。

ちょっと、自分でも状況がよくわからなかった。

そのことを医師から告げられたとき、単純に「え?」と思って、「なんで?」と思って、かけつけてくれていた達彦とお母さんとお父さんの顔を順番に見た。お母さんは涙を流しながら私の手を握り、お父さんはうなだれ、そして達彦はその透明な目で私を見つめて、悲しそうに私のもう片方の手を両手で握っていた。

そろそろ結婚しようか、なんて、まじめに話し始めていた頃だった。

達彦との付き合いは長い。大学時代、十九歳の頃から付き合っていて、付き合いが長すぎて結婚のタイミングを逃しているカップルの典型だった。でも二人とも二十七歳になっていたし、子供や親のことを考えるといい加減ちゃんとしなきゃね、なんて、毎日の食卓でそんな会話が日常的になっている頃だった。

二人で五年以上同じ部屋に住み、両親にもとっくに紹介しあっていてお正月には実家を行き来していたし、友達にも「旦那です」「嫁です」なんて冗談みたいに言い合っていたし、事実上はとっくに夫婦みたいな二人だった。

ただ、結婚という現実を、少し遠くに置いておきたかっただけだ。それだけで、年月はあっという間にすぎてしまった。

まだまだ気楽な同棲生活を続けたい気持ちもあったが、具体的に結婚について話し合い始めると楽しくなってきて、式は挙げないで、友達のやっているレストランでお披露目パーティーだけして、籍はいつ入れて、新婚旅行はどこに行って、新居はどうするか、子供が生まれるまでは今の部屋でもいいよね、子供は二人で、男の子だったら名前はどうしようか、女の子だったらどんな名前がいいか、そんなことを、ふわふわとした幸せな気持ちで話し合っているときだった。

そうか、と思った。

病名よりも何よりも、子宮を取ったということは、そうか、私はもう赤ちゃんを産めないのか、と、まだ麻酔の残る頭でぼんやりと思った。そう気がつくとお母さんの涙もお父さんの辛そうな顔も、達彦の悲しそうな目の意味もすべてわかって、自然に、静かに涙がこぼれた。でも体のだるさと朦朧とした意識の中でそれ以上考えたくなくて、麻酔のせいにしてまた眠ってしまった。目が覚めたら夢だったらいいな、と、頼りない祈りを忘れずに目を閉じたけど、曖昧な悲しみが、眠りに落ちる私の心までも、もうすっぽりと包み込んでしまっていた。

それから、私はいたたまれないとしか言えない気持ちでずっと過ごした。

両親は必要以上に連絡をしてきた。職場の人たちからは腫れ物に触れるように扱われた。友達には会うたびにさりげなく励まされるし、もともと優しい達彦はさらにさらに優しくなった。そういうすべては時間が解決するだろうとわかってはいても、私は息苦しくて仕方がなかった。人に優しくされるたびに照れたように笑って、そして、逆にどんどん一人になっていくような気がした。

そんなとき私に言える言葉は決まっている。

「ありがとう。大丈夫」

だ。

大丈夫なことなんて本当はひとつもなかったが、でも私は自分の不安を口に出せなかった。いったいなんて言えるというのだろう? 自分でさえ何がそんなに悲しく苦しいのかわからなかったのに。

だから私は、子宮がない、という事実を考えることを放棄した。

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